タイトルは「読書中の脳内BGM」の意.synapticの名詞形はsynapseつまり脳細胞的なアレ(詳しくはWiki参照).鼓膜が震えているわけではないのに音楽を聴いているように頭が錯覚している状態,との思いを込めた表現.これは導入でもない,定義の話.
ちひろ氏には読書の際,常に音楽が傍らに存在する.実際にスピーカで鳴らしている場合もあるし,「脳内BGM」が流れている場合もある.さらにそこに虫の音や車の音などの環境音も広義の音楽としてここでは捉える.「身体の状態,脳(思考)の状態に関わる音」としての音楽,ということ.この文脈では(通常の意味での)音楽をかける,かけないという両者の差は本質的に何もない.
ここで「両者に差がない」と言及した意味は,
音楽を流して本を読む時間は「特別な時間」ではないという認識を示すためである.
つまり,ちひろ氏の脳内には常に何かしらの音楽が流れており,
同時に「読書はちひろ氏の生活の主構成要素である」ということだ.
息抜きや気分転換に,あるいは現実逃避のために本を読むのではない.
例えば「気分転換に…」の後に「違うジャンルの本を読む」と続くのがちひろ氏の日常.
この部分は横道である.
という導入に触れた上で…ちひろ氏は数年前,とある目論見から「読書と音楽をリンクさせる(関連づける)」という試みを始めた.その目論見の内訳を少し紹介すると…
1. 読書中の本に合った音楽を流すことで内容への没入感を増進させる
2. リンクさせた音楽をあらためて聴くことで本の内容を呼び起こす
1は全ての本に該当し,2は特に小説に適用している.
小説以外の本を読む際の音楽は,それほど多彩ではない.「思考しやすい音楽」という大枠だけ設けており,個々の曲への思い入れは少ない.ここで紹介しようと思ったのは,上の2に関係する「特定の内容(物語)とリンクさせた音楽」だ.リンクさせる音楽の選定は,読み始める前の勝手なイメージに依ることもあれば読み始めて途中で変わることもある.そんな音楽の中で,特に読んだ小説内容と相性が良かったものについて一覧を作成し,その音楽と小説が結びついたことで生じたことについて書こうと思う.
その際に重要な,脳内BGMの微妙なニュアンスについても文章化する予定である.小説を読む時はリンクさせた音楽をスピーカで鳴らしながら読むことはほとんどない,ということだけここでは触れておく.スピーカから鼓膜を通して聴く音楽と,「脳内BGM」としてシナプス発光が生み出す音楽とは,印象は似ていてもその内実は全く異なる.その「異なり方」をうまく文章化できないかと思っている. 11.8.27