読書

比喩を書く

「書評をあまり書かないかもしれない」宣言を少し前にした.
書評サイトの投稿が一区切りついたのがその理由の一番だ.
そして最近はその宣言通り,全然書いていない.
それを読んでいる本の難しさのせいにできないこともない.
しかし,きっとどんな本でも,何か書こうと思えば書けるのだ.
むしろ今の自分の読書スタイルが書評執筆に向かないと言いたい.

小説にしろ評論にしろ,読んでいる間に何か閃けば文章を書きたくなる.
閃くとは主に連想のことで,本のとある内容と「何か」が結びつく.
その「リンクした瞬間の煌めき」がまず最初にある.
文章を書きたくなるのは,煌めきに付随する沢山の「なぜ?」の解明のためだ.
煌めいた瞬間に,自分の中の「ある感覚」は既に納得している.
だがその納得はとても仄かで,すぐに消えてしまう.
だから「ある感覚」を言葉に直して,自分に定着させる.
言葉にすることで失われる感覚をなるべく損なわないような仕方で.
それは矛盾なのだが,目指す方向性としてはすぐに一つ思いつく.
「ある感覚」を,そのまま言葉に直そうとしないことだ.
だから比喩があり,小説がある.
「ある感覚の比喩」とは,「ある感覚」を直接表さない性質を備えた全てである.
すなわち,あらゆるものが比喩になりうる.
だから小説は比喩である,とも言える.

その煌めきを,あるいは煌めきに反応した「ある感覚」を残したいと思う.
それを残したいのは,人と感覚を共有したいから.
自分が文章を書くのはきっと,人とつながりたいから.
もっと言えば,色んな人が,色んな人とつながって欲しいから.

文章を書く目的の持つ迂遠性は,その秘めた壮大な夢にある.